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嵐(あらし)は、日本海軍の駆逐艦〔#達昭和15年2月pp.44-45『達第三十一號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十三年度及同十四年度ニ於テ建造ニ着手ノ敷設艦一隻、海防艦二隻、驅逐艦二隻、潜水艦二隻及驅潜艇一隻ニ左ノ通命名ス 昭和十五年二月二十三日 海軍大臣 吉田善吾|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 敷設艦 津軽(ツガル)|鶴見製鉄造船株式會社ニ於テ建造 海防艦 国後(クナシリ)|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 海防艦 八丈(ハチジャウ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 嵐(アラシ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 萩風(ハギカゼ)|三菱重工業株式會社神戸造船所ニ於テ建造 伊號第二十五潜水艦|呉海軍工廠ニ於テ建造 伊號第二十七潜水艦|鶴見製鉄造船株式會社ニ於テ建造 第十三號驅潜艇』〕〔『○書類竝ニ郵便物表記方ニ關スル件 驅逐艦嵐ト山風トハ字體見誤易キ爲書類ノ誤送不達等甚ダ多ク事務處理上遺憾ニ不堪候條書類及郵便物ノ發送ニ當リテハ其ノ表記ニ十分注意相成候度 追テ事故防止ノ爲自今左ノ通艦名ニ振假名ヲ添付相成度「驅逐艦 嵐アラシ」(第四驅逐隊)』〕。 一等駆逐艦陽炎型の16番艦である〔#艦艇類別等級(昭和16年12月31日)p.8『驅逐艦|一等|陽炎型|陽炎、不知火、黒潮、親潮、早潮、夏潮、初風、雪風、天津風、時津風、浦風、磯風、濱風、谷風、野分、嵐、萩風、舞風、秋雲』〕。太平洋戦争緒戦時は第4駆逐隊司令駆逐艦として同駆逐隊隊司令有賀幸作大佐(戦艦大和沈没時艦長)が乗艦、ミッドウェー海戦では空母赤城を雷撃で処分した。1943年(昭和18年)8月上旬のベラ湾夜戦で萩風、江風と共に戦没した。 == 艦歴 == === 太平洋戦争開戦まで === 仮称第112号艦として舞鶴海軍工廠で1939年(昭和14年)5月4日起工〔#艦船要目公表範囲(昭和16年6月30日)p.20『艦名:嵐|艦種:一等駆逐艦|(性能略)|製造所:舞鶴工廠|起工年月日14-5-4|進水年月日15-4-22|竣工年月日16-1-27|(兵装略)』〕。舞鶴海軍工廠で建造された陽炎型は嵐以外に4隻(陽炎、親潮、天津風、野分)が存在する。1940年(昭和15年)2月23日、陽炎型17番艦萩風と同日附で命名された〔。同年4月22日進水〔。登録上は舞鶴工廠で建造された姉妹艦野分が陽炎型15番艦で嵐が16番艦だが〔、起工・進水・竣工のいずれも野分より嵐の方が早い〔#艦船要目公表範囲(昭和16年6月30日)p.20『艦名:野分|艦種:一等駆逐艦|(性能略)|製造所:舞鶴工廠|起工年月日14-11-8|進水年月日15-9-17|竣工年月日16-4-28|(兵装略)』〕。 同年9月16日附で朝潮型駆逐艦2番艦大潮駆逐艦長渡邉保正中佐は嵐の艤装員長に任命された。同時期、舞鶴海軍工廠に嵐艤装員事務所を設置〔『二五|三六一四|(略)嵐伊號第二十二潜水艦艤装員事務所(以下略)』〕。渡邉は11月25日附で嵐初代駆逐艦長に任命された。同時期、嵐艤装員事務所を撤去〔『一〇|三六七三|(略)嵐艤装員事務所第三聯合航空隊司令部残務整理事務所撤去、甲谷阿陀丸行動豫定』〕。 嵐は1941年(昭和16年)1月27日に竣工した〔。横須賀鎮守府籍となり、ただちに横須賀へ回航された〔『○艦船所在○一月二十八日午前十時【航海中】嵐(二十七日舞鶴發-横須賀へ)』〕。 なお白露型駆逐艦8番艦山風の艦名を漢字で縦書きすると嵐と読めるため、2隻(山風、嵐)の間で郵便物の誤配送が多発〔『○郵便物宛名ニ關スル件 本艦宛郵便物ト驅逐艦嵐宛ノモノトハ相互ニ混同セラレ易キニ付宛名ハ山ト風ヲ離シテ明確ニ記載相成度。(驅逐艦山風)』〕。山風側は「山」と「風」の間を開いて書くよう要請している〔。第4駆逐隊側は、艦名に振り仮名を添付して「嵐(アラシ)」と書くよう通達した〔〔百人一首には『吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ』(第22番文屋康秀作)がある。〕。 同年3月31日、姉妹艦萩風が竣工すると陽炎型2隻(嵐、萩風)は新編された第4駆逐隊に所属することになった〔#内令昭和16年3月(3)p.2『内令第二百七十四號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十六年三月三十一日 海軍大臣 及川古志郎|第三驅逐隊ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ||第四驅逐隊|嵐、萩風|』〕。駆逐隊司令は佐藤寅治郎大佐(前職、第18駆逐隊司令)。翌日、佐藤司令は司令駆逐艦を嵐に指定した〔『○司令驅逐艦指定 第四驅逐隊司令ハ四月一日司令驅逐艦ヲ嵐ニ指定セリ』〕。 4月28日、司令駆逐艦は1日だけ萩風に変更された〔『○司令驅逐艦一時變更 第四驅逐隊司令ハ四月二十八日司令驅逐艦ヲ一時嵐ヨリ萩風ニ變更、同日復歸セリ』〕。 佐藤大佐の在任期間は短く、6月18日附で第15駆逐隊(親潮、夏潮、早潮、黒潮)司令へ転任(後日、佐藤は軽巡神通艦長。神通沈没時に戦死)、新たな第4駆逐隊司令として第11駆逐隊司令の有賀幸作大佐が任命された。 また陽炎型15番艦野分は4月28日附で第4駆逐隊に編入された〔#内令昭和16年4月(5)pp.44-45『内令第四百四十八號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十六年四月二十八日 海軍大臣 及川古志郎|第四驅逐隊ノ項中「萩風」ノ下ニ「、野分」ヲ加フ』〕。一時司令駆逐艦に指定されるも(6月3日〔『○司令驅逐艦一時変更 第四驅逐隊司令ハ六月三日司令驅逐艦ヲ一時嵐ヨリ野分ニ變更セリ』〕~6月10日〔『○司令驅逐艦復歸 第四驅逐隊司令ハ六月十日司令驅逐艦ヲ野分ヨリ嵐ニ復歸セリ』〕)、7月1日に一旦4駆から外された〔#内令昭和16年7月(1)pp.8-9『内令第七百五十三號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十六年七月一日 海軍大臣 及川古志郎|第四驅逐隊ノ項中「、野分」ヲ削ル』-『内令第七百五十四號|横須賀鎮守府練習兼警備驅逐艦 驅逐艦 野分 右警備驅逐艦ト定メラル(以下略)昭和十六年七月一日 海軍大臣 及川古志郎』〕。 7月15日、陽炎型18番艦舞風が竣工した〔#内令昭和17年5月(2)p.22『舞風|一等駆逐艦|(艦諸元略)|藤永田造船所|15-4-22|16-3-15|16-7-15|(兵装略)』〕。8月1日、第4駆逐隊(嵐、萩風)は第四水雷戦隊に編入される〔#陽炎型(2014)109頁〕。 10月31日附で新鋭2隻(野分、舞風)は第4駆逐隊に編入された〔#内令昭和16年10月(4)p.19『内令第千三百七號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十六年十月三十一日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第四驅逐隊ノ項中「萩風」ノ下ニ「、野分、舞風」ヲ加フ』〕。開戦に備え、各隊・各艦は台湾や海南島へ進出した。南方へむかう第4駆逐隊は豊後水道で試験航海をおこなう大和型戦艦1番艦大和〔当時第4駆逐隊司令有賀幸作大佐は坊ノ岬沖海戦時の大和艦長。大和沈没時に戦死した。〕と遭遇、最初は島と間違えたという〔#駆逐艦隊悲劇の記録212頁〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「嵐 (駆逐艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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